「壁」とは何でしょうか。本社と現地のあいだには、次の4つがあります。
- 「コンテキスト(前提理解)」の壁
- 「距離」の壁
- 「言語」の壁
- 「常識」の壁
「コンテキスト(前提理解)」の壁
これは本文中でも再三、述べてきたことです。法令、風土、生活習慣・インフラ、交通事情、食生活、宗教——。それらは複雑に絡み合います。「法律の問題ならその法律を教えてくれればいいだろう」と思うかもしれません。しかし、絶対的であるはずの法令ですら、日本とは接し方が違ったりもします。たとえばベトナムでは日本に比べて曖昧に解釈できたり、他の法令と矛盾していて、結局どうすればいいかわからないことすらあります。また、すごいスピードで新たな法令が出されます。
そして外資系企業というのは監査からも注意を向けられやすい存在です。税務・労務・労働組合など、さまざまな監査があり、前述の通りルールが曖昧なため、指摘事項は担当者次第だったりもします。前回の担当者は褒めた点を、次の担当者はルール違反だと指摘したりもする。そういうさざ波の中を無難にやっていく方法も見いださねばなりません。
そういった「感覚」を説明して、納得させるには、多大なストーリー解説が必要になってきます。これはまさに多文化コミュニケーションに通じることですが、わからないものはわからないと、一時的には切り捨てる覚悟も必要です。
「距離」の壁
物理的な距離だけではありません。心の距離でもあります。あえて悪い言い方をすれば、「本社の人間が優遇されているのでは」という思いを、遠く離れた人間は抱きやすくなります。距離が近ければ、ちょっとしたことでも本社のキーマンに話せる機会があります。海外にいる人間はそうはいきません。「ちょっとしたこと」を話すために時間を取ってもらうわけにはいきません。でもその「ちょっとしたこと」が本社のキーマンの理解や決断を左右することもありえます。
私自身も、「なんでそれが自分の責任になっているんだ?」と感じて疑心暗鬼になった経験はあります。そういった疑心暗鬼を防ぐには、やはりキーマン自身が海外責任者や駐在員とコミュニケーションを取る機会をもうけることです。「私はあなたの味方です」という姿勢か「信頼しています」という姿勢も必要でしょう。もちろん、これは指摘すべき事項があっても指摘しないとか、完全に放任するという意味合いではなく、根底にある感覚を備え付けていく必要があるということです。
「言語」の壁
これは日本人同士でも困ります。異業種の人間が互いに専門用語で話し合ったら会話が成り立たないでしょう。それと同じことは海外対日本でも起こります。
たとえばベトナムでは日本の社長にあたる役職は「Tổng Giám đốc」です。しかし厳密には社長ではない。首相と大統領が同じではないのと一緒です。日本と国や制度が異なります。「社長」で代用することで無意識に日本の「社長」とまったく同じと勘違いしてしまうおそれもあります。なお、ベトナムも日本と同様、漢字の影響を受けていますので、漢字にできる単語も多いです。漢字にすると「総経理」になります。かといって、「Tổng Giám đốc」を会話の中に交えても、なかなか浸透しない。「総経理」と漢字にしても、日本の感覚ではどうしてもピンとこない。「CEO」という呼称が日本で普及するときにも、かなりダイナミックな社会的パワーが働いていました。
たかが呼び方の問題、されど日常的な不便や誤解が生じうる問題。呼称の統一というのは、意外と重要だというのが、私の持論です。
「常識」の壁
コンテキストに近いですが、人は自分が理解できないものに出会ったとき、自分が知っている中でそれに近いものに当てはめて考えようとします。それは、相手を理解しようとする立派な姿勢です。ただし、違いが生じたときにどういう考え方をすべきか、思考の訓練は必要です。自分の「常識」と異なるから「おかしい」「変だ」と考えて否定的な反応を示すのか。それとも、自分の「常識」はただの出発点として捉え、理解や共感につなげていくのか。
もっとも私が困るのは、他国のルールに対して「おかしい」と指摘されることです。「そう思うなら政府に言ってください」としか言いようがありません。でも外国人も日本のルールで「おかしい」と思うケースは、案外あるのかもしれません。ルールはあくまでルールです。結果に理屈や自分の思いを持ち込んでも意味はありません。少なくとも、現地の担当者や専門家を困らせる発言であることは理解すべきです。現地の人間は、その日本人の常識から見て理不尽に思えるルールに出くわしても、そのたびに乗り越えようと努力する当事者です。
なお、法律は国が円滑な統治のために制定しているものだという原点に立ち返ると、わりと理解・納得しやすいケースも多いです。
これら4つの壁を本社が知ることが、最初の手がかりになります。無理に現地のすべてを理解しようとする必要はありません。なんでもかんでも相談させる体制をつくる必要もありません。本社にとって譲れないラインと、現地に委ねてよいラインを明確にしていく。その線引きが、現地に「ここまでは自分で決めていい」という安心を与え、本社に「ここは現地に任せられる」という確信を与えます。それが、健全な連携の第一歩になります。