よくある課題 著者紹介
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「わかってもらえない」という孤独——
海外で暮らす人が抱えているもの

海外で暮らすことの大変さは、「すごいね」とは言われても、真にわかってもらえることは少ない。ベトナムに13年住んだ筆者が、自身の経験を通じて、外国で暮らす人が抱える日常について書きます。

海外で暮らす人の孤独とは、言葉が通じないことだけを指すのではありません。生活のあらゆる前提が異なる環境に身を置き続けることで生じる、説明しがたい疲弊のことです。そしてその疲弊を他人に伝えようとしても、前提が共有されていないために「わかってもらえない」という二重の孤独が生まれます。日本で働く外国人社員もまた、同じ状況の中にいます。

「当たり前」がすべて違う国で暮らすということ

筆者はベトナム・ホーチミン市に13年住んでいます。

海外で暮らすことの大変さは、言語や食事の違いだけではありません。社会福祉、インフラ、道路事情、学校の制度——生活の前提そのものが違います。

ホーチミン市ではバイクが歩道を走ってきます。そのような環境の中で子どもを育てています。日本人学校は市内に一つしかなく、給食もありません。スクールバスはありますが、バス停まではバイクかタクシーで送り迎えが必要です。バイク通勤の文化なので朝夕の渋滞は激しく、「タクシーで送り迎え」と聞く以上の時間と労力がかかります。ガソリン代、タクシー代、すべてが積み重なります。雨期には道路冠水が日常茶飯事で、それがさらに拍車をかけます。

子どもが病気になったとき、自分一人で病院に連れて行けるのか。そこでまともにコミュニケーションが取れるのか。これは恐怖です。

外国語に囲まれて生活するとは、ただ会話ができないということではありません。引っ越すのも、買い物をするのも、タクシーに乗るのも、ありとあらゆることにストレスが伴います。

苦労を話しても伝わらない——前提の共有されない孤独

前述の苦労の一つ一つは、正直なところ、たいしたことではなかったりします。

しかし、コンテキストが異なる相手にこれを伝えようとすると、苦労の前提から説明しなければなりません。日本人学校がどういう仕組みか、道路事情がどうか、雨期とは何か——個別の話をするたびに長い前置きが必要になります。結果として、他人に話せばただの長い愚痴になってしまう。そもそも、自分が長く住んでいる国のことを悪く言いたくはありません。だから話さなくなる。話さないから伝わらない。伝わらないから、不満は内面に留まったままになります。

COVID-19(コロナ感染症)のときには、「自分は外国人なんだ」ということを改めて思い知らされました。ベトナムでは「外国人だから」補助はなかった。家族はベトナム人だし、10年にわたり納税しつづけてきたにもかかわらず。日本もそうです。日本人で日系企業に勤めているにもかかわらず、海外に住んでいるという理由で補助金の対象外でした。海外在住期間は日本に納税していないのだから、理屈としてはそうでしょう。しかし、ここで重要なのは理屈や正当性ではありません。長く住んでいて、妻がベトナム人であっても、ベトナムでは「外国人」と見なされる。日本生まれ日本育ちでも、日本では「非居住者」である。どちらの国にも完全には属していないという感覚は、経験した人でなければ実感しにくいものです。

耳で聞くことと実感は、やはり大きな違いがあります。

あなたの職場の外国人社員にも、同じ日常がある

仕事においても、海外でマネジメントをすることには固有の困難があります。

「これはベトナムの文化なのか、この人個人の意見なのか」「言葉は正しく伝わっているのか」「みんなこうなのか、この人だけなのか」——判断の手がかりが少ない中で、一つ一つ確認しながら進めなければなりません。契約書も法律もすべて外国語です。何をするにも時間がかかります。ベトナムでは法律が頻繁に変わりますが、外国語なので追いつけないこともあります。

最初に出会った社員との相性が悪いと、もうその国全体がいやになることすらあります。

ここまでは筆者自身の経験です。しかし、これをそのまま裏返してみてください。

日本で働く外国人社員もまた、同じ日常の中にいます。言葉が完全には通じない環境で、日本の制度や慣習を一つずつ理解しなければならない。「当たり前」が違うことに毎日直面し、それを誰かに説明しても伝わりにくい。

立場の弱い技能実習生や特定技能の方であれば、なおさらです。

その孤独に気づくことが、外国人社員との関係を維持する最初の一歩になりうる——筆者はそう考えています。