よくある課題 著者紹介
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日本の常識は、
世界の常識ではない

家電量販店の規模、社会保障の仕組み、時間の感覚——日本人が「当たり前」だと思っているものは、外国人社員にとっては当たり前ではありません。「文化の違い」の正体について、ベトナム在住13年の筆者が体験をもとに書きました。

「文化の違い」という言葉は、外国人と働く場面でよく使われます。遅刻への罪悪感が少ない、納期に対してルーズ、報告が上がらない——こうした場面に直面したとき、「文化の違いだから」で片づけてしまうと、その先を考えなくて済みます。

しかし「文化の違い」と言ったところで、具体的に何がどう違うのかはわからないままです。

筆者はベトナムで13年働いてきました。その中で気づいたのは、「文化の違い」の中身の多くは、前提の違い——育った環境やインフラ、社会の仕組みの違い——だったということです。この記事では、筆者自身の「当たり前」が揺らいだ体験について書きます。

自分の「当たり前」がどこから来たか

日本の都市部に住んでいると、身の回りの便利さが「普通」になります。コンビニは24時間営業で徒歩圏内に何軒もある。宅配便は時間指定ができ、届かなければ再配達を頼める。

これらはごく一部の例に過ぎず、多くのことについて、世界的に見れば異常なほど高水準のインフラです。しかし、その中で生まれ育つと、自分の基準が特殊であるという自覚がなくなります。

筆者がベトナムに来て最初に実感したのは、まさにこのことでした。

家電量販店が「通じなかった」話

赴任して間もない頃の話です。現地のスタッフに「大きな家電量販店に連れて行ってほしい」と頼みました。ホーチミン市で最大規模だという店に案内してもらったのですが、入った瞬間に面食らいました。

日本の駅前にある家電量販店とまではいかなくても、それに類するものを想像していました。実際に案内されたのは、規模も品揃えも中途半端な店舗でした。PC用の高級キーボードを選びたくても、安いものばかりで選択肢が少なすぎる。「言葉が通じていないんじゃないか」「この人はこういった店舗に詳しくないんじゃないか」と疑いました。

しかし問題は、筆者の常識のほうでした。当時のホーチミン市では、本当にそこはPC製品に関しては最大規模でした。案内してくれた社員は筆者の頭の中の「普通」を知らないので、「日本と比べると小さいですよ」なんて補足もありませんでした。

ホーチミン市は人口900万人を超える大都市です。農村ならばともかく、都市であれば無意識のうちに「このくらいはあるだろう」と想定してしまっていました。

生活インフラの違いが、生活の組み立て方を変える

家電量販店は一つの例ですが、生活インフラの違いは日常のあらゆるところに及びます。

ベトナムには再配達の仕組みも宅配ボックスもありません。荷物が届いたら自分で受け取りに行くしかない。10年ほど前は、荷物の受け取りのために早退する社員もいました。

若い人の一人暮らしでは、洗濯機がない家も珍しくありません。手洗いです。そうなると、一人暮らしであっても家事にかかる時間が日本とはまったく違います。生活インフラが違えば、生活の組み立て方そのものが変わるのです。

前提が違えば、行動の理由も違う

自分の「当たり前」が特殊だと気づくと、次に見えてくるのは、相手の行動にも相手なりの前提があるということです。

なぜテトに帰省するのか

ベトナムでは旧正月(テト)に多くの人が帰省します。筆者の妻もベトナム人で、毎年テトには里帰りをしています。

日本人から見ると「家族を大事にする国民性」と映るかもしれません。それも間違いではないのですが、背景にはもう少し切実な事情があります。

ベトナムは日本ほど社会保障が充実していません。公的な保険や年金の制度はあっても、それだけで老後や緊急時に対応できるとは限らない。そのため、地元の親戚や隣人との付き合いが、もしものときのセーフティネットとして非常に重要な役割を果たしています。

そして「もしも」のときに限らず、日頃から親戚同士が文字通り助け合っています。子供の世話、家の修繕、冠婚葬祭の手伝い——感情的なつながりだけではなく、生活を支え合う実務的な仕組みです。

テトの帰省は、そのネットワークを維持するための、合理的な行動でもあるのです。「家族思いだから」というだけの話ではなく、社会の仕組みの違いから来ている。これも前提の違いの一つです。

葬式で一週間休む理由

筆者はベトナム人の妻の祖父母が亡くなった際、親族側で葬儀に参列しました。

ベトナムの葬儀は、日本とはまるで違いました。親戚が集まり、早朝から深夜まで働き詰めです。食事の準備、弔問客への対応、仏事の段取り——すべてを親族が分担してこなします。仕事があるからと途中で帰れるような雰囲気ではありません。

日本の葬儀は、通常2〜3日で終わります。その前提からすると、「葬式で一週間も休むのか?」と疑問に思うかもしれません。しかし現地の仕組みを実際に体験してみると、一週間という期間にも理由があることがわかりました。

住み続けて、自分の感覚が変わった

前提の違いを「知る」のと、「実感する」のはまた別のことでした。ベトナムに何年も住んでいると、知識として理解していた違いが、自分自身の感覚として染み込んできます。

時間感覚が変わった

ベトナムの通勤はバイクが主流です。朝夕の渋滞は日常で、雨季には道路が冠水し、普段より30分余計にかかることも珍しくありません。毎朝、家を出る時点で何分かかるかわからない。そういう生活を何年も続けていると、「10分の遅れ」に対する感覚が変わってきます。

日本の電車のように分単位で正確に動く公共交通機関がある国は、世界的に見ればごく少数です。日本にいた頃の自分の時間感覚が、どれほど特殊な環境に支えられていたか。それを頭ではなく体で実感しました。

そして不思議なことに、日本にいた頃は当然だった遅刻に対するいらだちが、感覚としてわからなくなってくるのです。

海外で生活し、仕事をして実感しているのは、自分自身の「常識」の広がりです。「当たり前」のことなんて何もない。それがわかると、ささいなことに腹が立たなくなります。