日本の都市部に住んでいると、身の回りの便利さが「普通」になります。コンビニは24時間営業で徒歩圏内に何軒もある。宅配便は時間指定ができ、届かなければ再配達を頼める。
これらはごく一部の例に過ぎず、多くのことについて、世界的に見れば異常なほど高水準のインフラです。しかし、その中で生まれ育つと、自分の基準が特殊であるという自覚がなくなります。
筆者がベトナムに来て最初に実感したのは、まさにこのことでした。
家電量販店が「通じなかった」話
赴任して間もない頃の話です。現地のスタッフに「大きな家電量販店に連れて行ってほしい」と頼みました。ホーチミン市で最大規模だという店に案内してもらったのですが、入った瞬間に面食らいました。
日本の駅前にある家電量販店とまではいかなくても、それに類するものを想像していました。実際に案内されたのは、規模も品揃えも中途半端な店舗でした。PC用の高級キーボードを選びたくても、安いものばかりで選択肢が少なすぎる。「言葉が通じていないんじゃないか」「この人はこういった店舗に詳しくないんじゃないか」と疑いました。
しかし問題は、筆者の常識のほうでした。当時のホーチミン市では、本当にそこはPC製品に関しては最大規模でした。案内してくれた社員は筆者の頭の中の「普通」を知らないので、「日本と比べると小さいですよ」なんて補足もありませんでした。
ホーチミン市は人口900万人を超える大都市です。農村ならばともかく、都市であれば無意識のうちに「このくらいはあるだろう」と想定してしまっていました。
生活インフラの違いが、生活の組み立て方を変える
家電量販店は一つの例ですが、生活インフラの違いは日常のあらゆるところに及びます。
ベトナムには再配達の仕組みも宅配ボックスもありません。荷物が届いたら自分で受け取りに行くしかない。10年ほど前は、荷物の受け取りのために早退する社員もいました。
若い人の一人暮らしでは、洗濯機がない家も珍しくありません。手洗いです。そうなると、一人暮らしであっても家事にかかる時間が日本とはまったく違います。生活インフラが違えば、生活の組み立て方そのものが変わるのです。