よくある課題 著者紹介
Article

「国民性」って何?

「国民性ですか?」と聞かれるたびに、少し引っかかります。
傾向を知ることは出発点として有効。でも、そこで止まったら、目の前の人を見ていない。
ベトナム在住13年の実務者が考える「国民性」の使いどころと限界。

「国民性ですか?」という言葉に引っかかる

ベトナムで13年働いてきました。その間、何度か言われたことがあります。「それって、ベトナムの国民性ですか?」と。

言っている側に悪意はないと思います。むしろ善意でしょう。異なる文化を理解しよう、受け入れようという姿勢の表れだと思います。

でも、この言葉を聞くと、少し引っかかります。

日々、ベトナム人の社員と密接に関わっている自分が聞くと、その一言が「決めつけ」や「諦め」のように聞こえてしまうのです。「国民性だから、まあ仕方ないか」と。目の前の人に向き合う手前で、思考が止まっているように感じてしまいます。

傾向はある。それは否定しない

生活インフラ、気候、宗教、土地柄の慣習。こうした背景から、ある程度の傾向が生まれるのは事実です。

私自身、ベトナムに来た当初、「ベトナム人は…」という情報をたくさん集めました。先にベトナムに住んでいた日本人の話も何人分も聞きました。未知の環境に放り込まれたのだから、手がかりがほしかったのです。当然のことだと思います。

傾向を把握しようとすること自体は、何も問題ありません。

ただし、それは出発点にすぎない

問題は、傾向を知ったところで止まってしまうことです。

傾向はあくまで基準値です。「だいたいこのあたり」という目安であって、目の前の人がそこに当てはまるかどうかは別の話です。

私にも、社員の考え方や行動に疑問を感じたとき、「これはベトナム人だからなのか、この人だからなのか」で悩んだ時期がありました。参考意見を集めて、あれこれ考えました。

でも結局、他人の意見はあくまで参考です。自分の目で見たこと、自分が感じたことを、一番に信じるべきでした。全体の傾向と、目の前の個人は、別物です。

結局、人対人

最終的にたどり着いたのは、「ベトナムだから」「日本だから」ではなく、「これが当社のルールだから」で判断を下すということでした。

もちろん、現地の法令を遵守すること、一般的な慣習をある程度理解しておくことは前提です。宗教上の理由であれば考慮が必要ですし、生活インフラの違いから来る常識のズレもあります。

ただ、不思議に思うことがあったとき、「国民性だから」で済ませるのではなく、なぜその人がそう言うのか、そう考えるのかを、少しずつでも探っていく方が、お互いの理解につながります。

「国民性」で語れることには限りがあります。傾向を知ることは出発点としては有効です。でも、そこから先は、目の前のその人を見るしかありません。