数値化すると、物事が具体的に見え、比較しやすくなることで、途端に興味深くなります。しかし、このモデルを実務上の判断材料として使うのは困難です。
元データの古さと偏り
もともとはIBMの各国支社の社員調査による分析で、社員の職場満足度を測るための質問票だったそうです。つまりただの内部資料だったのです。その上、回答者はマーケティングや営業職が中心で職種に偏りがあります。当時の情勢を考えれば、男女比も偏っていたはずです。
その後、ホフステード氏側がVSM(Values Survey Module)という質問票を公開し、世界中の研究者がそれぞれの研究プロジェクトで追加のデータ収集を行っています。しかし、この質問票自体が「仕事」や「職場」を前提にした設計であるため、回答者はどうしてもホワイトカラー層に偏りやすくなります。満遍なくフィールドワークを行うのは実質不可能です。国民性と見なすには、ずいぶんと偏っているのです。
回答が組織の空気に染まる
質問票調査にはつきものの問題ですが、回答者は所属する組織の雰囲気に影響を受けます。IBMという特定の企業文化のなかで得られたデータが、その国全体の文化を映しているかどうかは疑問です。ホフステード氏自身も、2011年の論文で、国文化の次元は同一国内の組織比較には適さないと述べています。
質問票の解釈のばらつき
同じ質問文でも、受け取り方は人によって変わります。たとえば、この質問票には「あなたの経験上、部下が上司に反論するのを恐れることはどのくらいありますか」というものがあります。これに対する回答は、個人の性格やそのときの気分、質問文をどう解釈したかによっても左右されます。言語や文化の違い以前に、質問票という手法自体にそうした揺れがあるのです。
国という単位でくくれるか
このモデルの大きな問題点は、一つの国を一つの文化として扱っている点です。
では、国よりも細かい単位 — たとえば民族や宗教 — でくくれば正確になるかといえば、それも同じことです。同じ民族でも世代によって価値観は違いますし、同じ世代でも個人によって異なります。どこまで細分化しても、最終的には「人による」に行き着きます。
私自身、ベトナムで仕事を始めた頃、社員の行動に疑問を感じるたびに「これはベトナム人だからなのか、この人個人の性格なのか」と悩んだ時期がありました。結局のところ、国民性で説明しようとしても答えは出ません。
スコアと実感のズレ
ホフステードのスコアでは日本の個人主義は中程度とされています。しかし実感としてはどうでしょうか。私は、集団になると意見を言えなくなる日本人の方が大多数だと感じています。かといって、これも世代や業種、会社の風土によってまったく異なります。スコア一つで語れるものではありません。
人間の多面性
そもそも、それぞれの性質は共存しないのでしょうか。極めて個人主義的な人は、決して集団のなかで迎合しないでしょうか。ホフステードモデルにおける「男らしさ」とは競争意欲や達成意欲などのことですが、それが極めて高い人は調和を求めないのでしょうか。二極に分けること自体に無理があります。人間はそもそも矛盾を抱えた存在だと思います。